2004年5月16日日曜日

姉妹都市 春の「木島平村」を訪れ温かい心にふれる。

 私は4年に一度の姉妹都市への表敬訪問に議員として三回目の参加になりました。5月13,14日の二日間、短い滞在ですが天候にも恵まれ、山吹が咲き乱れる美しい里、木島平村の春と人情味溢れる皆さんとも交流し、地域に出かけていくことで、姉妹都市の意義について自分なりに受け止めて調布へ帰ってきました。少し長い報告になりますが、最後に写真を何枚か載せていますので、どうか最後までお読み下さい。

木島平村には合併問題が起きていましたが、様々な角度から議論を重ねた後に、木島平村民として自らの足で立って今まで通り「自治」を進めていくと選択されたというお話を聞き感銘を受けました。議論を進める中で、地域コミュニティーがうまくいかなくなった地域もあった由、合併論争がもたらした弊害も大きかった事も心痛む思いで聞きました。いずれどのように村を運営していくのかが、今後の大きな課題になってきています。

合併については、国の財政の破綻から地方への歳出を減らしたい思惑が錯綜する中で進められてきていますが、何故合併するのかという基本的な議論はなかなか聞こえてきません。地域の大事な資源とも言えるコミュニティーに亀裂が生じ、修復が難しい傷を残すような現在の国の合併策にも怒りを覚えました。

合併議論のなかでは「調布市との友好関係もどうなるのか心配だった」との声も聞き、私たちのまちとの関係を大事に考えてくれている事も知り感動しました。実は現在、市が提案している行革アクションプランには、木島平山荘の利用率の低下から16.17年と新たな運営主体・方法を関係者と協議し、市民保養施設としては18年に廃止する方向となっています。木島村議会の方々と交流する中では、姉妹都市の象徴でもある保養施設が今後どうなっていくのか危機感を覚えているという声も多く聞きました。

調布市は不交付団体ですが、財政状況は厳しく、行革を進めていかなければならない現実があります。バスで4時間半という遠距離にある点、保養施設の利用率の低さなどからも山荘にについての見直しの議論は今後検討されていく事になります。

木島平村には大自然、豊富な農産物、ゆったりした人々の存在など無形有形な財産が豊富です。確かに山荘は友好のシンボルともいえますが、その存在が交流している証でもあるのですが、山荘があることのイメージで友好関係が出来たような気持ちになり、全市民への絶え間ない具体的な友好への努力へ、いまひとつ結びつかなかった点もあった気がします。姉妹都市とは何かをまず考えるところから出発してみると、例えば学校給食にアスパラガスなど村の新鮮野菜を取り入れ、「木島平村の日」を設けて、子どもたちにも身近な食体験の中からの交流も一案です。

武蔵野市では林間学校ではなく、正規の授業として5年生、中学一年に最長10日間、クラスごとに民宿、公共施設、民家などでホームスティしながら農林漁業体験し、自然に飛び出すセカンドスクールを開校中です。
地元の人とのふれ合いや、自然から大きなものを得てきたと紹介された本には子どもの感動的な感想も載っていました。自然との体験を通して肌で感じ学んでいくという、かつて当たり前だった体験を、私たちは木島平村を通じて子どもに体験させてあげる事も可能です。

今回は「やーこん」というアンデス原産の芋を食べました。生でも美味しい一品になります。煮ても揚げても美味しく、焼酎も製造されていますがオリゴ糖の入った「血液さらさら」という優れもの。調布駅前のアンテナショップ「新鮮屋」で時々販売されています。木島平村には、まだまだ紹介仕切れないほど沢山の産物があります。もっと市民に知ってもらえれば村おこしにも繋がり、私たちも健康という恩恵に与れます。

 私は、今回の木島平村訪問では、改めて姉妹都市の持つ意義について体験的に再認識しました。調布という都会にあって、子供達が故郷とも呼べる地域が存在するのは幸せなことです。雄大な自然や温かな人情に包まれると本当に癒され、明日への元気が湧いてくる気がします。
この友好関係をどの様に発展させたら、より多くの市民・村民の方に、私が今回味わった、感じた思いを日々身近に感じられ、このことをどう共有できるかがこれからの課題だと感じました。一生懸命考え智恵を絞っていきたいと思います。
木島平村の皆さん、お世話になりました。