2005年8月12日金曜日

調布で平和を考える

 昨日はばたばたしながらも、文化会館たづくり両ギャラリーで開催されている平和に関する催しを見てきました。
二階南ギャラリーでは、市内在住の古橋研一さんが調べた「資料から見る空襲」が「私のまちにも空襲があった」のタイトルで15日まで開催中、
午前10時~午後6時(最終日は5時)、テーマは平和です。
私たちが知ることのできなかった貴重な資料、米軍資料から地域の空襲が検証されていて、そのリアルさに胸を打たれます。本当に僅か60年前に戦争があり、今平和であるのは何故か、最近の状況からも今一度考えてみる必要があると思うのは私だけでしょうか。一方、北ギャラリーでは13日まで平和美術展が開催されています。どちらのギャラリーも調布市民が平和をテーマに私たちに語りかけてくれます。是非、お時間を作ってこの機会にご覧頂ければと思います。

2005年8月10日水曜日

希望の学校

前後したお話になりますが、丁度一週間前の8月3日、日本女子大学でアフガニスタンのカブールに設立された「希望の学校」のナジブラ校長が夏期セミナーで話される事を知り、聴講しました。
「希望の学校」はアフガニスタンから日本に留学された年から戦乱により帰国できず、日本に帰化した女性の駿渓(スルタニ)さんが、母国で学ぶことが出来ず苦しんでいる成人女性のための自立を目指して、女性が新聞を読み手紙を書く程度の識字力を身につけ裁縫技能を習得して自立することを支援するために2003年10月に開校しました。
私は昨年、第22回の市川房枝記念会基金(1983年より女性の地位向上、政治の浄化に対する活動に取り組む女性達の活動支援を援助)の援助決定団体になった希望の学校の話しを聞く機会があり、主旨に賛同し会員になりました。
アフガニスタンでは最近まで女性の労働も学ぶことも、一人で外出することも禁止されていました。私たちが当たり前に思っている教育権すら、時の為政者の都合で犠牲になってしまうことがあるのです。「教育は平和の礎」、お話の中で、女性の社会的な地位が社会の進歩の尺度になるとの引用がありましたが、市川房枝さんが語っていた「平和なくして平等なし」の言葉の重さを再認識しました。
希望の学校に関心のある方はホームページをごらんください。

2005年8月9日火曜日

憲法と地方自治

 衆議院が解散されました。国政が混乱する姿を見るにつけ、政治は誰のために存在するのか考えさせられます。国民主権とは何か私たちは再認識して様々な問題について判断すべきではないでしょうか。
私は7月29.30日に鳥取県知事が地域の自立と再生をめざす「鳥取自立塾」に参加しました。全国から800名が集まり、特別講演(山口二郎北海道大教授)、パネルディスカッション(増田岩手県知事、石原金沢市教育長他)第六分科会まである講義がありました。分科会講師は土屋武蔵野市長、石田犬山市長、福嶋我孫子市長、穂坂前志木市長、早瀬大阪ボランティア協会事務局長、片山鳥取県知事です。
私は片山知事が講師の「憲法と地方自治」に参加しました。自分が判断の基軸とする憲法と自治について一度考えてみたいと思ったからです。
分科会は地域で起きている様々な問題を憲法に立ち返って検証すればどうなるのかといった主旨の提案で会場から多くの問題提起がなされ、それに知事が応える形で進められました。
民主主義で一番大事なのは国民、このことが明記されているのが憲法です。近代憲法の性格は、法律をつくる時のよりどころとなる法律であり、歯止めになるものをいい、国が守らなければならない基本ルールです。国民が権力をしばる仕掛けが憲法であり、権力が国民を縛るものではありません。為政者が統治しやすいものは憲法ではないと再認識。
憲法92条には地方自治が登場します。地方自治の本旨は団体自治と住民自治です。自治を法律以外でしばってはいけないのであり、この法律から国と地方は上下関係にはなく地方は地方政府です。意思決定の自立が求められ時、できるだけ住民の意思を反映させるのが基本だということがわかります。
豊富な事例を挙げての話から、自治を実践する時、拠り所となる憲法を通して考えていけば、どういう方向で問題解決すれば良いかが鮮明に見えてきました。
様々な議論が誰の幸福のために考えられているのか、私も議会という自立した機関に立って、ひとつひとつ検証していく事が大事だと実感しました。