2011年8月12日金曜日

京都、深大寺、八王子。明日は..

 熱中症のニュースが続いています。本当に暑いですね。
遮光簾を事務所に下げていますが、効果はもうひとつ。いや、猛暑の極みだから仕方ないですね。猛暑が続きますが、夏は研修会・大会の季節でもあります。

7月30日は午後から有楽町の監査法人事務所で開催された国際公会計学会の研究特別委員会に出席、今後の研究テーマを検討。東京都の発生主義導入後の効果や監査等について市民の目線で検証する方向が見えてきました。会終了後、同日と8月1日と開催されている「市民と議会条例づくり2011」に途中からですが、翌朝9時半からの会に参加するため京都に向かいました。

京都では
会場の龍谷大学キャンパスには、石巻市でのボランティア活動の報告が展示されていました。本当に全国各地から復興に向けた支援の輪が広がっている事を
ここでも感じました。

全議会に行われた議会改革実態調査2011については、自治体学会編集部会でご一緒している跡見学園女子大学の長野さんからの報告(回収率はなんと94%とか)。この4年間の総括を、私が副幹事をしている自治体学会議員研究ネットワークの総会で基調講演を8月18日に予定している自治体議会改革フォーラム代表の法政大学の広瀬さんからありました。

その後、分科会に分かれましたが、私は第2分科会の「総合計画とどう付き合うか」に参加しました。
私は現在25年度からスタートする調布市総合計画の策定をずっと傍聴しています。自治法の改正で基本構想の策定と議決に関する義務が廃止された今、調布市議会として、地域の最上位計画にどのように関わっていくか模索していましたので、奈良市、京丹後市、飯田市、栗山町という先進市の事例が同時に学べるまたとないタイムリーな企画だったので是非参加したかった分科会です。

3市1町は議会改革でもトップランナーです。すでに総合計画に関する条例にも着手、或いは行政評価をおこなったり他の計画も議決事項に入っているなどトップランナーの足取りの確かさを知りました。
議会改革がやっと緒に就いた我が議会からすれば、自治を踏まえた議会ならではの悩みを聴くにつけ、この学びを議会でどのように活かしていくのか、、。まずは議会とは何をする所なのか、という基本に立って、議員同士がここを再認識する所から始めないと個々議員の議会改革への認識がずれていってしまうのではと改めて強く感じました。市民代表機関としてどうあるべきか、ここからスタートしなければなりません。市民のための議会改革を実現するためにも頑張らねば。

八王子市
8月4日には八王子市のオリンパスホールで開催された東京都河川促進大会に出席しました。これは都内全域の区市議会が参集し、水害等のための河川改修・治水対策への財源の確保を都・国に求めるため、各地の意見発表も含め毎年行われる大会です。議員は会メンバーでもある訳です。
最近のゲリラ豪雨の増加など市内入間川の氾濫を経験した事もあり、河川改修の必要性は実感していますが、こういった大会で要求しないと適正な予算が確保されないものか、他に良い方法はないものか再考する点もあるのではと考えながらの参加となりました。

そして深大寺
 8月7日は午前中は、以前から鑑賞したいと思っていた「ミツバチの羽音と地球の回転」をたづくり映像シアターで鑑賞しました。長く原発建設反対を主張してきた祝島の方々の長い歴史を知り、その声の重さが福島原発事故を経験した今、重く迫ってきました。今も原発を通して地域の活性化を信じて推進をしている人々の存在、反原発の声が大きくなる中で一方では福島関連のものに対する風評被害の大きさ等、これから私達が向かい合っていく持続可能な地域社会を創っていくためにクリアしなければならない課題が山積しています。私達がこれから選択すべき社会はどんな社会なのか、命を預かる仕事をしている市民代表の一人として、様々に学びながらこどもたちに残すべき社会のあり方についてしっかり考えていかなければと強く自覚した日でもありました。

それにしても、北欧を何回か訪れましたが、エネルギーの自由化が社会の選択肢を広げている事実を知ることができました。まずエネルギーの供給を一社独占を見直しながら、早く代替エネルギーの開発を急がなければなりません。今夏、熱中症の方が増えている時ですが、私達はエネルギーの確保も含めてどんな暮らし方を良しとするのか、一人一人が自分の問題として考え答えを導き出していく市民の力が問われて来る時代になってきました。段々に長いコメントになってしまいました。上映を企画してくれた友人達に感謝です。


様々な思いを胸に、午後からは同様に多くの友人がボランティアスタッフとして係わっている恒例の深大寺夕涼みの会に浴衣で出かけようと、着替えている最中に雷が聞こえ、勢いよく雨が降ってきました。暫く待っていると、埼玉の知人から電話が入り、会場に居るけれど、どこにいるのとの問い合わせがあり、雨も止んだので慌てて出かけました。
3時近くまでは賑やかだったようですが、すっかり人通りも少なくなってしまったようで私が着いた頃には、のんびりした風情のある深大寺でした。さすがに浴衣を着た人も多く、この点は定着してきたようです。いつも楽しみにしているジャズコンサートも、雨が少し残るなか短めでしたが素敵な時間を過ごせました。皆で福島の人を思い、一緒に唄った「上を向いて歩こう」は本当に涙がこぼれそうでした。長い長い夏の一日でした。

明日は長野へ
明日、13日は80歳を越えた両親が待つ長野県小海町の実家に帰省します。
26年前に子どもが1.3歳と小さかった時期でもありお盆前に帰省していました。亡き義兄が血相を変えて、飛行機が墜落したらしいと飛び込んできた時、「どうしてこんな山奥にジャンボ機が」と最初は半信半疑でした。これが御巣鷹山の日航機墜落の瞬間でした。まもなく上野村へ救助に向かう自衛隊が小海町の公民館を拠点にした事もあって婦人会の役員だった母が頑張ってもらっている自衛隊員の方々へ炊き出しをして支えようと提案した事から、手が真っ赤になるほどおにぎりづくりを手伝った事を鮮明に思い出します。あのころ毎日、悲惨な現場の話等も沢山聴きました。
母はあれから、天ぷら等を作ったりしながら現場にお参りに行った事もあったようですが、近年は体調も悪く険しい場所なので足下がおぼつかなくなってきたので最近は行かなくなったようですが、私にとってもこの12日は忘れることのできない悲しい日として毎年、手を合わせ多くの犠牲者の方の冥福を祈る日になりました。
深大寺で唄った上を向いて歩こうの歌手の坂本九さんも悲しい犠牲者のお一人でした。