2011年7月23日土曜日

都市部での事業墓地建設問題

 6月議会で都市部における墓地建設問題について質問しましたが、実際にお寺さんとの交渉に何回か共に臨んできましたが、墓地建設用地に隣接する住民の方の心労は計り知れないものがあります。今日も午後から深大寺北町と三鷹市野崎の市境に800基もの墓地が建設予定になっています。今回が交渉の最終段階でした。お寺側には専門の弁護士が付いての交渉です。住民側は専門知識があるわけではありませんので、なかなかに厳しいやりとりが続きました。
最終的には住宅地側に手を合わせてお参りするようになっていた配置が変更したり境のフェンスを高くすることや、24時間機械警備する事、お線香については無臭無煙を推奨すること、毎年協定した事が遵守されたのか確認する等の項目が交渉によって追加されました。本当に中心になって交渉された住民の皆さんの努力に頭が下がると同時に、現在の都条例は住民の住環境を守りきれない内容だという現実に関係住民の皆さんと共に持って行きようのないやるせなさを感じました。

現在の都の条例では、住宅地に突然開発される墓地に対して近隣住民へ十分な緑地や駐車場の配置等を求める内容になっていません。
いずれ許認可権が市におりてくる事が予想されます。今後も起こりうる問題として、早期に条例改正すると同時に将来に備えて都市型の墓地のあり方についても行政が十分に検証して地域が目指すまちづくりが損なわれないよう努力することを今後も求めていきたいと思います。



会報発送作業終了!
 
 昨日、会報発送作業を終えて郵便局へ、そして手配りしてくれる元気派メンバーのお宅に届けに行ける段階になりました。協力頂いている多くのメンバーに感謝です。
 私は市議だより運営委員会に出席のため役所に行きました。運営委員会には新しく当選された方も加わり、活発な意見交換になりました。市民目線で、という発言が新鮮でした。ただ一般質問は議員が確認するなどの作業がありますが、大枠は議会事務局がまとめた案に意見を述べるだけの現状から、なかなか踏み出すのは難しいです。今回はできる所から各委員が担当しては、というこれまで私が提案してきた点も含め、次回検討する事になりました。半歩でも前に進むと良いのですが、、、。


7月20日は東日本大震災被災地派遣職員支援活動報告会がありました。

 調布市では市として遠野市に4グループ28名の職員を派遣、遠野市社会福祉協議会が運営するボランティアセンターに登録し、被災地の掃除、廃棄物処理活動等、救援物資の搬送業務に。また、東京都市長会の要請に基づき、釜石市、大槌町、南三陸町、二本松市、仙台市に避難所運営業務、生活再建支援関連事務、内部事務等々も派遣、その他の派遣として仙台市には被災宅地危険度判定業務に専門職を派遣に従事した職員から、実際に体験した生の現地の様子を聞くことができました。

 実際に従事して情報提供、伝達の難しさや地区内の復旧の格差を感じたという。また小さな避難所で業務をされた職員からは40畳の場所に今は22名だが、多いときには80人がいたとの話しもあり、長く避難場所にいる方の心的ストレスが高いことを心配する声もあった。また160名の避難所は食事は朝はごはんのみ、昼はカップラーメン、夜は仕出し弁当、この残りを次の朝のおかずにするなど果物や野菜不足が深刻だったという。スタッフとして係わった職員の生活スペースは体育館のステージ上で座布団を並べ毛布にくるまって休む状況との事で写真の紹介もありました。昼食は賞味期限の迫ったソーセージやカップ麺も多かったとか、本当に大変な状況での支援活動だった事がわかりました。口々に語られたのは、現場を見るにつけ、これからまだまだ復興には時間がかかる長く支援する必要性についてでした。

今後、東京都市長会の要請もあり公衆衛生活動にも派遣するようです。また中長期の派遣としては、市の枠として2名、短期で一ヶ月、長期では来年3月までとなるようです。 市でも行革を進める中、職員定数を減らしてきています。あっては困る事ではありますが、直下型地震等も想定される中で、私達のまちの安全、安心を考えると今の職員体制について今後は見直す必要があるのではないかと考えます。震災は私達自身の問題でもあります。派遣は当然のことですが、そうは言っても遠隔地への長期派遣は、これまでの市政では考えられない事です。どのような条件で職員を派遣するのか今後の課題になってくると思います。これらも含め、報告を聞きながら今後震災復興に向けて、市として対応しなければならない課題が多いことを再認識する報告会でもありました。


職員による被災地支援報告会    釜石市栗林小学校に派遣された職員の説明を聞く
被災地報告をする派遣された職員メンバー       釜石市栗林小に派遣された職員の説明を聞く



7月17日は愛のコンサートに

  深大寺東町にあるスペースオブバイフォーで釜石出身の歌手の方を招いたコンサートが開かれました。 響貴永幸さんは釜石市出身の気仙沼育ちだそうです。現在は都中心に地方でも活動されているとか。
ここで唄われたオリジナル曲 命「みこと」そして、震災を曲にした瓦礫の街、二曲とも独特な声と唄い回しは美しく、心の奥底まで染み渡りました。特に瓦礫の街は、そこで生まれた響貴さんの心の叫びであり、私も訪れた多くの被災地が浮かび切なく、でも未来を見据えて行こうという詞に深い感動を覚えました。多くの方に聴いて頂きたいと思います。
今も釜石市に暮らすシャンソン歌手のSACHIさんは、被災を免れた地域に暮らしているとの事でしたが、唄の合間に震災直後に被災現場に行った時 多くの死体が横たわる中を歩き、親戚の方を探された状況等本当に考えられないような厳しい体験をされてきた事を語りながらも、多くの被災地に支援してくれた皆さんへ御礼に参りましたとの言葉に胸が一杯になりました。沢山の新聞や写真も回され、被害の実態が参加した一人一人の胸に、同じ国に暮らす人々が遭遇した厳しい現実が迫ってきました。
この会は元気派のつどいでも演奏して頂いたピアノ演奏家の村西さんとのご縁で開かれたとの事。入場無料の会でしたが、コンサートに見えた方は用意された義援金箱にそれぞれの気持ちをこめて寄付されていました。
 私は、感動した響貴さんの2曲のCDを購入しました。各地でコンサートもされているようです。ご関心のある方は是非ホームページにアクセスしてください。

 7月14日に京王線地下化の工事現場の視察がありました。

 京王線地下化の工事は順調に進んでいると報告を受けていましたが、実際の状況は分かりませんでしたが、14日に開催された議会向けの現場見学会でようやく実際の工事の進捗状況がわかりました。現在、京王線が運行している下では着々と駅が完成しつつあります。