2011年8月29日月曜日

「がんばるっちゃ!石巻」

 東日本大震災の被災地に行った際に、石巻市でお話を聞いた佐々木さんより今日お葉書が届きました。実は、お目にかかった時、通販サイトがオープンした際は教えてくださいとお願いしてきたのですが、葉書には、店舗営業再開と、インターネット通販サイト「石巻港直送!プロショップまるか」開店のうれしいお知らせでした。佐々木さんは、石巻名店街をプロショップまるか店内で併設され頑張っていらしゃいます。「おやじのおまかせパック」が売りとの事。毛ガニ二匹、殻付きウニ五個その他に旬の鮮魚も入るとか、、。「がんばるっちゃ!石巻」を合い言葉に石巻市から全国に新鮮な海の幸を届けてくださるとのこと。是非、皆さんサイトをごらんになって注文頂ければ、と思います。私も早速注文したいと、サイトのメニューを検討中です。

プロショップまるか店主佐々木さん   
プロショップまるかの佐々木さん(ホームページより)

補助装具ができました。

 今日は幹事長会でした。9月議会の議案説明と議会改革が主な議題です。議会改革の代表者会議の要綱の確認と今後の会議日程が示されました。改革の場は傍聴もできますし、議事録も公開なので市民の皆さんに審議の過程が見えるようになります。この点は前回の議会改革協議会よりも一歩前進です。
話し合いの最終段階になってきた時、予約した整形外科の時間になったら中座することを伝えてあったので、残り僅かでしたが中座させてもらいました。
一週間に一度、一時間しか専門家の義足装具を扱う人が来ないとの事でしたので、この時間を外せませんでした。
予定通り左足の補助装具と、右足に履く厚底の靴もセットで仕上がってきました。脱着の仕方や歩行の指導がありレントゲン撮影をするなど結局2時間近くかかってしまいました。。なかなか慣れるまでには大変ですが、頑張ろうと思っています。 ところで、帰宅後に玄関に入って、家に上がろうとした時、特製の靴を脱ぐと踵分だけ今度は右足が低くなってしまい、またまた歩行困難になってしまう事がわかりました。装具を付けると重さがあるのでぴょんぴょんという訳にも行かず、結局家の中ではこれまで使用していたエル型の固い装具を足に充てて、包帯で固定する事にしました。両方をうまく使いこなすには暫くかかるかもしれません。何事も経験と思いがんばってみることにします。

明後日が、一般質問の通告〆切です。明日は資料とパソコンとにらめっこですが、長い時間は難しいので、どのように纏められるのか心配ですが、自分のメインの仕事です。これもしっかり頑張らねば。

2011年8月27日土曜日

明日は議会報告会です

 昨日は久し振りに朝8時45分から5時半までびっしりと9月議会に向けた事前の会派説明がありました。簡易な装具の状態なので相変わらず踵がつけないなかで、足を下げたまま(踏み台を置いたり、クッションを挟んだり工夫してみましたが、、、)腰掛けたままのやりとりで、かなり疲れました。議会棟のトイレは女性用は一つしかない上に狭く、バリアフリー対応では無いため、車いす対応のトイレまで行かなければなりませんでした。しかも運悪く同じ4階にあるこのトイレも、途中から故障という状態で、2階までエレベーターで移動してといった出来事もあり、疲労困憊といった状態での帰宅となり、食事後は倒れ込むように寝込んでしまいました。
 今日は、明日の報告会のパワーポイントの資料を打ち合わせしました。まだ足が痛みますが、月曜日には装具も出来上がってくるので、もう少し楽になるのではと期待するばかりです。 9月議会、様々な初体験が待っているのかもしれません。 まずは明日の報告会をしっかりと努められるように頑張らねば。

2011年8月22日月曜日

思ったより長くかかりそうです。

 今日は補助装具の型どりをしました。まず足全体をラップに包んでから、真ん中に綿の紐を置き、その上に石膏を含んだ包帯を膝上まで巻き、膝の曲がる所には窪みをつけます。暫くすると固まり、その上からなにやら文字を書き、紐が出ている中央部をナイフで切り裂き外すのですが、裂く瞬間は大丈夫とは思いながらも怖々眺めていました。

この装具は、仕上がると中央にはアルミの棒もセットされだいぶ歩行しやすくなるようです。来週の月曜日には出来上り装着できます。色は赤、青などカラフルなものもありましたが、肌色をお願いしました。無事な右足にも踵の高さを揃えるために特注の靴がセットで準備されます。費用は10万円程かかりますが、国保ですので、後日7割が戻ります。自分で高額医療申請する事態が起きるとは想像した事もありませんでしたが、誰にも事故は起きるものだと体験した今、国民皆保険制度は、課題はありますが守っていかなければならない制度だと再認識しました。
 
ところで、完治するにはどの位の期間かかるのか先生にお聞きした所、「全治3ヶ月ですね」との答えにびっくりし、確か一ヶ月とおっしゃったのではと聞き直した所、「松葉杖と装具から、装具だけになり、今度はリハビリして平常な状態に戻るにはやっぱり3ヶ月はかかるでしょうね」との説明でした。 先生が繰り返しおっしゃる言葉が「くれぐれも転ばないように」でした。 
転ばぬ先の杖と言いますが、9月議会で一般質問する予定ですが、登壇する時、もしかするとまだ松葉杖にお世話になっているかも。本会議場はバリアフリーではなかった、またまた、うーんです。

2011年8月21日日曜日

思いがけない事に

 人生とは予期せぬ事が起きるものです。 実は、8月10日に自宅で踏み台から落下、左足首を骨折してしまいました。全治一ヶ月との事です。深大寺夕涼みの会までは、さあ後半もがんばろうと張り切っていたのですが、、、。

13日に帰省した長野の実家では足を高くしてひたすら安静にしていました。17日早朝に戻り、午後から整形外科に行きレントゲン検査がありましたが、なかなか腫れがひいていない状況もあって、以降予定していた研修会や大会を軒並みキャンセルして、今は家で静かにしています。
今夜は皆様へ報告したく、ようやくパソコンに向かいましたが、踵をついてはいけないことや、足を高くして作業するという二点を守りながらの入力は、なかなかに難儀な事です。

今は夏休みで人の出入りがなくなった一階事務所に使っている和室で休んでいます。足が不自由になってみて、バリアフリーになっていないために使いにくい箇所を多数発見し考え込んだり、松葉杖の生活なので、移動する際に両手が使えない事の不自由さに参っています。明日は、整形外科で装具の型を採りますが完成は一週間後とか。

来週から議会運営委員会、9月議会の議案説明、幹事長会、そして週末には議会報告会。8月30日には9月議会の通告があり、決算議会の資料も出され、31日には一般質問の〆切と体の具合とは裏腹に慌ただしい日程が続きます。が、どうも9月6日開会日までに松葉杖が必要なくなるのかは微妙な所です。うーん。
どのくらい充実した仕事ができるのか不安もありますが、完治させないと後々の仕事にも響く事なので、自分で作業時間はコントロールしていかなければいけませんね。

16年間止まることなく活動。今年は5回目の選挙、その後震災の現場へと様々に走り続けてきましたが、体からSOSが出され、神様が少し立ち止まって休息し、自分のペースも考え、また走るようにとの配慮の怪我かもしれません。そう思い本当に、自分の足で歩けることのありがたさを今、痛切に実感しつつ、今は回復に向けて、私にとって難しい経験ですが、安静にするという体験をさせてもらっています。

今までバリアフリー、ユニバーサルデザインと提案してきましたが、本当に僅かな段差がクリアできない日常生活での実感を、今後の政策に活かすこと。例えば移動困難者の災害時の問題などどうしたら良いのかなど様々な思いが頭の中だけは活発に動いている毎日でもあります。


汗をかくこの季節に、左足が簡易なギブスですが、膝まで固定し包帯でぐるぐる巻き状態なので、これも大変ですね。昨日、今日と過ごしやすい気候なので助かりました。明日は診察日、お天気が気になります

2011年8月12日金曜日

京都、深大寺、八王子。明日は..

 熱中症のニュースが続いています。本当に暑いですね。
遮光簾を事務所に下げていますが、効果はもうひとつ。いや、猛暑の極みだから仕方ないですね。猛暑が続きますが、夏は研修会・大会の季節でもあります。

7月30日は午後から有楽町の監査法人事務所で開催された国際公会計学会の研究特別委員会に出席、今後の研究テーマを検討。東京都の発生主義導入後の効果や監査等について市民の目線で検証する方向が見えてきました。会終了後、同日と8月1日と開催されている「市民と議会条例づくり2011」に途中からですが、翌朝9時半からの会に参加するため京都に向かいました。

京都では
会場の龍谷大学キャンパスには、石巻市でのボランティア活動の報告が展示されていました。本当に全国各地から復興に向けた支援の輪が広がっている事を
ここでも感じました。

全議会に行われた議会改革実態調査2011については、自治体学会編集部会でご一緒している跡見学園女子大学の長野さんからの報告(回収率はなんと94%とか)。この4年間の総括を、私が副幹事をしている自治体学会議員研究ネットワークの総会で基調講演を8月18日に予定している自治体議会改革フォーラム代表の法政大学の広瀬さんからありました。

その後、分科会に分かれましたが、私は第2分科会の「総合計画とどう付き合うか」に参加しました。
私は現在25年度からスタートする調布市総合計画の策定をずっと傍聴しています。自治法の改正で基本構想の策定と議決に関する義務が廃止された今、調布市議会として、地域の最上位計画にどのように関わっていくか模索していましたので、奈良市、京丹後市、飯田市、栗山町という先進市の事例が同時に学べるまたとないタイムリーな企画だったので是非参加したかった分科会です。

3市1町は議会改革でもトップランナーです。すでに総合計画に関する条例にも着手、或いは行政評価をおこなったり他の計画も議決事項に入っているなどトップランナーの足取りの確かさを知りました。
議会改革がやっと緒に就いた我が議会からすれば、自治を踏まえた議会ならではの悩みを聴くにつけ、この学びを議会でどのように活かしていくのか、、。まずは議会とは何をする所なのか、という基本に立って、議員同士がここを再認識する所から始めないと個々議員の議会改革への認識がずれていってしまうのではと改めて強く感じました。市民代表機関としてどうあるべきか、ここからスタートしなければなりません。市民のための議会改革を実現するためにも頑張らねば。

八王子市
8月4日には八王子市のオリンパスホールで開催された東京都河川促進大会に出席しました。これは都内全域の区市議会が参集し、水害等のための河川改修・治水対策への財源の確保を都・国に求めるため、各地の意見発表も含め毎年行われる大会です。議員は会メンバーでもある訳です。
最近のゲリラ豪雨の増加など市内入間川の氾濫を経験した事もあり、河川改修の必要性は実感していますが、こういった大会で要求しないと適正な予算が確保されないものか、他に良い方法はないものか再考する点もあるのではと考えながらの参加となりました。

そして深大寺
 8月7日は午前中は、以前から鑑賞したいと思っていた「ミツバチの羽音と地球の回転」をたづくり映像シアターで鑑賞しました。長く原発建設反対を主張してきた祝島の方々の長い歴史を知り、その声の重さが福島原発事故を経験した今、重く迫ってきました。今も原発を通して地域の活性化を信じて推進をしている人々の存在、反原発の声が大きくなる中で一方では福島関連のものに対する風評被害の大きさ等、これから私達が向かい合っていく持続可能な地域社会を創っていくためにクリアしなければならない課題が山積しています。私達がこれから選択すべき社会はどんな社会なのか、命を預かる仕事をしている市民代表の一人として、様々に学びながらこどもたちに残すべき社会のあり方についてしっかり考えていかなければと強く自覚した日でもありました。

それにしても、北欧を何回か訪れましたが、エネルギーの自由化が社会の選択肢を広げている事実を知ることができました。まずエネルギーの供給を一社独占を見直しながら、早く代替エネルギーの開発を急がなければなりません。今夏、熱中症の方が増えている時ですが、私達はエネルギーの確保も含めてどんな暮らし方を良しとするのか、一人一人が自分の問題として考え答えを導き出していく市民の力が問われて来る時代になってきました。段々に長いコメントになってしまいました。上映を企画してくれた友人達に感謝です。


様々な思いを胸に、午後からは同様に多くの友人がボランティアスタッフとして係わっている恒例の深大寺夕涼みの会に浴衣で出かけようと、着替えている最中に雷が聞こえ、勢いよく雨が降ってきました。暫く待っていると、埼玉の知人から電話が入り、会場に居るけれど、どこにいるのとの問い合わせがあり、雨も止んだので慌てて出かけました。
3時近くまでは賑やかだったようですが、すっかり人通りも少なくなってしまったようで私が着いた頃には、のんびりした風情のある深大寺でした。さすがに浴衣を着た人も多く、この点は定着してきたようです。いつも楽しみにしているジャズコンサートも、雨が少し残るなか短めでしたが素敵な時間を過ごせました。皆で福島の人を思い、一緒に唄った「上を向いて歩こう」は本当に涙がこぼれそうでした。長い長い夏の一日でした。

明日は長野へ
明日、13日は80歳を越えた両親が待つ長野県小海町の実家に帰省します。
26年前に子どもが1.3歳と小さかった時期でもありお盆前に帰省していました。亡き義兄が血相を変えて、飛行機が墜落したらしいと飛び込んできた時、「どうしてこんな山奥にジャンボ機が」と最初は半信半疑でした。これが御巣鷹山の日航機墜落の瞬間でした。まもなく上野村へ救助に向かう自衛隊が小海町の公民館を拠点にした事もあって婦人会の役員だった母が頑張ってもらっている自衛隊員の方々へ炊き出しをして支えようと提案した事から、手が真っ赤になるほどおにぎりづくりを手伝った事を鮮明に思い出します。あのころ毎日、悲惨な現場の話等も沢山聴きました。
母はあれから、天ぷら等を作ったりしながら現場にお参りに行った事もあったようですが、近年は体調も悪く険しい場所なので足下がおぼつかなくなってきたので最近は行かなくなったようですが、私にとってもこの12日は忘れることのできない悲しい日として毎年、手を合わせ多くの犠牲者の方の冥福を祈る日になりました。
深大寺で唄った上を向いて歩こうの歌手の坂本九さんも悲しい犠牲者のお一人でした。