2011年7月27日水曜日

深大寺の夏1.2.3...

その1
 夏本番です。夏の風物詩、盆踊り大会が深大寺周辺で次々に開催されています。7月22.23日は北ノ台小学校、深大寺では昨日と今日27日が盆踊り大会です。私は22日には北ノ台小学校に。26日は深大寺に、昨夜は事務所での仕事を早く終えたので一年ぶりに浴衣を着て出かけました。
会場には例年、お盆を迎えるに当たって祭壇が整えられますが、今年は東日本大震災でお亡くなりになった方のお位牌も中央に祭られ、会開催に当たって僧侶の方々による法要もあったとお聞きしました。私も、お参りさせて頂きました。

深大寺の盆踊りは地域を支える若い皆さんが太鼓を叩いたり踊ったりと、盆踊りが地域が大切にしてきた行事だな、ということがよく分かります。深大寺街づくり協議会でご一緒しているメンバーの方もいらっしゃいましたが、美しく踊る姿にビックリ。ここでも地域がずっと大事に育ててきた歴史を感じました。
今回は初めて、最後に櫓の上で踊りました。今日も晴れると良いのですが、、。

会場に設置された祭壇         踊りの輪の中で
 会場内に設けられた祭壇                          踊りの輪の中で

大好きな綿菓子をを買いました。 天然の鯛焼き?と書かれている鯛焼きを購入 昭和に作られた鯛焼き器とか
大好きな綿菓子を購入             天然の鯛焼き?を購入       昭和に作られた鯛焼き器とか


その2

 深大寺がほおずき祭りで賑わう7月18日に開催された一味会主催の新蕎麦の会に元気派の仲間と共に参加しました。
一味会はご住職が深大寺に係わる方がたと共に、25年間深大寺に蕎麦畑を開墾し蕎麦を作ってきましたが、今回は25年という節目の年、記念行事として東日本大震災のチャリティを兼ねて催されました。
今回は、九州豊後高田の夏蕎麦と埼玉三芳の夏蕎麦、そして遠くオセアニアのタスマニア産秋蕎麦も味わう事ができました。それぞれに味わい深く、蕎麦が生産地によって味わいがこんなにも違うものかと驚きました。食後には本堂をお参りし、手作りの蕎麦粉の入ったお菓子も食し心豊かな時間を過ごす事ができました。 蕎麦粉の写真が小さくてすみません。
 その3として、23日には武蔵境通りの草むしり、深大グリーンクラブのメンバーと朝8時から頑張りました。勢いの乗って、負けず生い茂っている我が家の庭の草取りも頑張って大汗をかいた日曜日でした。 今日は文化会館たづくりで総合計画を傍聴しますので、盆踊りには行きません。お時間がありましたら、深大寺の盆踊りに。関心のある方は総合計画の傍聴にお越しください。

2011年7月23日土曜日

都市部での事業墓地建設問題

 6月議会で都市部における墓地建設問題について質問しましたが、実際にお寺さんとの交渉に何回か共に臨んできましたが、墓地建設用地に隣接する住民の方の心労は計り知れないものがあります。今日も午後から深大寺北町と三鷹市野崎の市境に800基もの墓地が建設予定になっています。今回が交渉の最終段階でした。お寺側には専門の弁護士が付いての交渉です。住民側は専門知識があるわけではありませんので、なかなかに厳しいやりとりが続きました。
最終的には住宅地側に手を合わせてお参りするようになっていた配置が変更したり境のフェンスを高くすることや、24時間機械警備する事、お線香については無臭無煙を推奨すること、毎年協定した事が遵守されたのか確認する等の項目が交渉によって追加されました。本当に中心になって交渉された住民の皆さんの努力に頭が下がると同時に、現在の都条例は住民の住環境を守りきれない内容だという現実に関係住民の皆さんと共に持って行きようのないやるせなさを感じました。

現在の都の条例では、住宅地に突然開発される墓地に対して近隣住民へ十分な緑地や駐車場の配置等を求める内容になっていません。
いずれ許認可権が市におりてくる事が予想されます。今後も起こりうる問題として、早期に条例改正すると同時に将来に備えて都市型の墓地のあり方についても行政が十分に検証して地域が目指すまちづくりが損なわれないよう努力することを今後も求めていきたいと思います。



会報発送作業終了!
 
 昨日、会報発送作業を終えて郵便局へ、そして手配りしてくれる元気派メンバーのお宅に届けに行ける段階になりました。協力頂いている多くのメンバーに感謝です。
 私は市議だより運営委員会に出席のため役所に行きました。運営委員会には新しく当選された方も加わり、活発な意見交換になりました。市民目線で、という発言が新鮮でした。ただ一般質問は議員が確認するなどの作業がありますが、大枠は議会事務局がまとめた案に意見を述べるだけの現状から、なかなか踏み出すのは難しいです。今回はできる所から各委員が担当しては、というこれまで私が提案してきた点も含め、次回検討する事になりました。半歩でも前に進むと良いのですが、、、。


7月20日は東日本大震災被災地派遣職員支援活動報告会がありました。

 調布市では市として遠野市に4グループ28名の職員を派遣、遠野市社会福祉協議会が運営するボランティアセンターに登録し、被災地の掃除、廃棄物処理活動等、救援物資の搬送業務に。また、東京都市長会の要請に基づき、釜石市、大槌町、南三陸町、二本松市、仙台市に避難所運営業務、生活再建支援関連事務、内部事務等々も派遣、その他の派遣として仙台市には被災宅地危険度判定業務に専門職を派遣に従事した職員から、実際に体験した生の現地の様子を聞くことができました。

 実際に従事して情報提供、伝達の難しさや地区内の復旧の格差を感じたという。また小さな避難所で業務をされた職員からは40畳の場所に今は22名だが、多いときには80人がいたとの話しもあり、長く避難場所にいる方の心的ストレスが高いことを心配する声もあった。また160名の避難所は食事は朝はごはんのみ、昼はカップラーメン、夜は仕出し弁当、この残りを次の朝のおかずにするなど果物や野菜不足が深刻だったという。スタッフとして係わった職員の生活スペースは体育館のステージ上で座布団を並べ毛布にくるまって休む状況との事で写真の紹介もありました。昼食は賞味期限の迫ったソーセージやカップ麺も多かったとか、本当に大変な状況での支援活動だった事がわかりました。口々に語られたのは、現場を見るにつけ、これからまだまだ復興には時間がかかる長く支援する必要性についてでした。

今後、東京都市長会の要請もあり公衆衛生活動にも派遣するようです。また中長期の派遣としては、市の枠として2名、短期で一ヶ月、長期では来年3月までとなるようです。 市でも行革を進める中、職員定数を減らしてきています。あっては困る事ではありますが、直下型地震等も想定される中で、私達のまちの安全、安心を考えると今の職員体制について今後は見直す必要があるのではないかと考えます。震災は私達自身の問題でもあります。派遣は当然のことですが、そうは言っても遠隔地への長期派遣は、これまでの市政では考えられない事です。どのような条件で職員を派遣するのか今後の課題になってくると思います。これらも含め、報告を聞きながら今後震災復興に向けて、市として対応しなければならない課題が多いことを再認識する報告会でもありました。


職員による被災地支援報告会    釜石市栗林小学校に派遣された職員の説明を聞く
被災地報告をする派遣された職員メンバー       釜石市栗林小に派遣された職員の説明を聞く



7月17日は愛のコンサートに

  深大寺東町にあるスペースオブバイフォーで釜石出身の歌手の方を招いたコンサートが開かれました。 響貴永幸さんは釜石市出身の気仙沼育ちだそうです。現在は都中心に地方でも活動されているとか。
ここで唄われたオリジナル曲 命「みこと」そして、震災を曲にした瓦礫の街、二曲とも独特な声と唄い回しは美しく、心の奥底まで染み渡りました。特に瓦礫の街は、そこで生まれた響貴さんの心の叫びであり、私も訪れた多くの被災地が浮かび切なく、でも未来を見据えて行こうという詞に深い感動を覚えました。多くの方に聴いて頂きたいと思います。
今も釜石市に暮らすシャンソン歌手のSACHIさんは、被災を免れた地域に暮らしているとの事でしたが、唄の合間に震災直後に被災現場に行った時 多くの死体が横たわる中を歩き、親戚の方を探された状況等本当に考えられないような厳しい体験をされてきた事を語りながらも、多くの被災地に支援してくれた皆さんへ御礼に参りましたとの言葉に胸が一杯になりました。沢山の新聞や写真も回され、被害の実態が参加した一人一人の胸に、同じ国に暮らす人々が遭遇した厳しい現実が迫ってきました。
この会は元気派のつどいでも演奏して頂いたピアノ演奏家の村西さんとのご縁で開かれたとの事。入場無料の会でしたが、コンサートに見えた方は用意された義援金箱にそれぞれの気持ちをこめて寄付されていました。
 私は、感動した響貴さんの2曲のCDを購入しました。各地でコンサートもされているようです。ご関心のある方は是非ホームページにアクセスしてください。

 7月14日に京王線地下化の工事現場の視察がありました。

 京王線地下化の工事は順調に進んでいると報告を受けていましたが、実際の状況は分かりませんでしたが、14日に開催された議会向けの現場見学会でようやく実際の工事の進捗状況がわかりました。現在、京王線が運行している下では着々と駅が完成しつつあります。

2011年7月6日水曜日

会報73号編集中 その1 選挙報告

 5期目、最初の会報編集が始まりました。まず選挙報告のページをまとめています。東日本大震災直後でもあり選挙の進め方も問われていました。元気派メンバー同志で様々な議論をし、私達らしい選挙とは何か話し合いました。
 最終的には候補者は政策を訴える義務があること、そして有権者の方は政策を知る権利があるという基本に立ち、初めての選挙の時に市川房枝記念会理事の山口みつ子さんから聞いた言葉「応援団のあり方が議員の質を表す。どういう選挙をしたか、で選挙後の活動が決まる」を基本に、今回も個人推薦のみの住民参加型選挙を行っていく事。これまで同様選挙カーは使用するが、時間帯は10時からスタートし、名前の連呼は自粛しボリュームを落として辻辻で街頭演説し、日頃の活動を訴えていこう、そんな話し合いの結果になりました。

 昨年10月、市川房枝記念会女性と政治センターから、地方選挙ハンドブック編集委員の一人として、地方議員を志す方へのメッセージとして住民参加型選挙活動ハンドブック入門編を発行しましたが、そのなかの選挙運動の見出しは「選挙法を守って、きれいな選挙を貫こう」でした。住民参加型選挙は、政策決定過程への参加の始まりであり、選挙はゴールではないという事です。

無所属で立候補した場合、政党広報や事前ポスター、政党の宣伝カー等を用いた知名度を上げる政治活動を行うことはできません。無所属候補が僅か一週間の選挙運動で名前と政策を知ってもらうのは厳しい事です。
公職選挙法では、候補者の名前は選挙管理委員会から演説する際に義務が課せられている標記旗とたすきの二点だけです。後は選挙カーの看板です。名前ののぼり旗は、政治活動の際も選挙活動の際も違反です。たすきは選挙期間中のみ使うことが許されています。

 選挙中の写真を何枚か載せましたが、調布駅南口広場では選挙カーは離れた所に停車したので、候補者名は遠くからはわかりません。元気派はシンボルカラーをピンクにしています。たすきは一期目から友人の手作りをそのまま使用しています。私達が進めている「無くそうムダ使い」「市民参加・情報公開」「めざそう市民が主役のまちづくり」、そして「とことん無所属」等の手作りのスローガン旗(この旗ばかりが目立ちます。主張しているのは誰?)や、演説に欠かせないビールケース台、ジャンバーも10年以上使用している年代物です。もちろん、候補者も、、、。  
 伝えたいことは沢山ありますが紙面は8ページの半分強に選挙費用も含めて掲載するので、どう書こうかと頭を抱えています。 結果は12日入稿を目指している「みみチャンネル73号」8ページをご覧下さいませ。

 会報73号編集中 その2  東日本大震災

 会報の特集ページには、東日本大震災・被災地に行っての状況をまとめ記事にしています。文章化する事で見えなくなってしまうこともあると悩んだ末、できるだけ沢山の写真を載せ新聞報道だけでは伝わらない現地の様子を伝え、一緒にこれからを考え、行動するきっかけになってくれればと思いながら、主には石巻市の状況を中心に構成中です。
 石巻市を中心にしたのは、昨年10月に総務委員会で石巻市、いわき市、郡山市を視察しましたが、なかでも石巻市にあった「石ノ森萬画館」の変わり果てた状況には、昨年訪れた事もあって、大変ショックを受けたからでもあります。

石巻市は駅に降り立った所から漫画家石ノ森章太郎さんの作品が至る所に配置されています。まちの活性化を図るべく「マンガを活かしたまちづくり」として基本構想、基本計画も策定し、その一環として「石ノ森萬画館」も設立し、観光スポットとして賑わっていた場所でした。 あの時、お話を伺いみみチャンネルにも掲載した受付にいた笑顔の職員の方はどうしているのか等、何とも胸が痛みます。

今、調布駅北口徒歩5分の所にある観光市案内所「ぬくもりステーション」では店内に東日本大震災復興支援コーナーを設置。石巻市の「石ノ森萬画館」のグッズなどのチャリティー販売が行われています。駅前にでかけた際には是非、覗いてみてください。

私達は3月11日から全ての価値観が大きく変わってきました。毎日報道されるニュースを見ると、これから政治に係わる者は「命」について、しっかり考えていくた事が大切なのに国民不在の絶望的な政治状況に言葉を失います。地方議員として、政治が日々信頼を失っていくことに危機感を募らせています。

日記にも書きましたが、3日間に渡る被災地の視察は想像を絶するものでした。映像を見るだけでも息苦しくなる被災現場です。その地に立って、悲しみと苦しみが覆い被さってくる状況のなかで、生きていく事の困難さを痛切に感じました。

頑張ってなどと言える状態ではなく、むしろ改めてこの震災の大きさにたじろぎ、長く時間のかかる大変な事が起きている事を全身で受け止めたと同時に、そのに暮らすこどもたちの姿を見て命そのものの鼓動と希望も肌で感じました。子ども達の存在って、不思議ですね。そこに居るだけで希望が湧いてきます。未来あるこどもたちのためにも大人の責任として、小さな事でも、できることを全力で行い、次世代に希望の灯火を引き継いでいかなければと強く感じました。

東日本大震災は他人事ではなく、被災地の皆さんの状況は明日の私達でもあります。こんな時だからこそ、まず市民同志で繋がっていき、気持ちを共有して一緒にそれぞれにできる所から実行して復興していくことが大事ではないでしょうか。そんな思いが少しでも伝わる記事にしたく、作業中です。