2001年9月19日水曜日

委員会審議始まるなかで、「平和都市宣言」を考える。

13日から議会が開会しました。
17日からは一般質問が始まりました。 その冒頭に、調布議会では米国で起きたテロ行為への糾弾決議を全会一致で可決しました。決議の主旨は「テロ行為は許されない行為、テロ行為者に対しては極めて厳しい責任を求める。
と同時に世界の平和と市民の安全を守るためにわが国政府や米国、関係諸国に冷静かつ理性的な対応を求める」です。
私は今年の5月に米国のワシントンD.Cとニューヨークを訪れました。 飛行機が貿易センタービルに追突したという報道を耳にした瞬間に、ニューヨークで見上げた象徴的なビルを思い出しました。あんな巨大な建物に誤ってぶつかるわけがない。誰かが意志を持って突っ込んだに違いないと感じました。とっさに戦争が始まるのではないかという恐怖から鳥肌が立ったほどです。
あれから、この問題に日本はどう対処するのかという議論について私なりに自問自答する毎日です。人類は21世紀という新世紀を歩き始めた今も、争いごとを平和的に解決できる英知を手に入れていません。
「発展」「発達」してきたといわれる人類の歴史のなかでいったい何を学んできたのか考えると無力感を覚えます。どこの国でも戦争という大義名分の犠牲になるのは名もない市民です。 多くの尊い命がこれ以上無意味に失われることがないように、私たちにできることは何か問われています。しかし、なんと重い難しいテーマなのでしょうか。
今日の文教委員会で「国際交流事業費」についての質疑もありました。
私はこのような時期こそ市民レベルの国際交流に力を注いで欲しいと発言しました。調布市にもアラブ諸国の外国人の方が暮らしています。 今回の多発テロ事件に関係のない人々が事件当事者と思われる国の住民だという理由だけで危険視され被害者になることがないようにと考えます。地域に暮らす私たちにできることは、まずお互いを理解し合う草の根的な日々の交流だと思うのです。
国が違っても平和な日々を願うのは万国共通の認識です。
調布市は「国際交流平和都市宣言」を。
調布市議会は「非核平和都市宣言」を行っています。
この2つの平和都市宣言をした調布市の市民として、今できることをしよう。そのことを強く認識した今日の委員会審議でした。

2001年9月11日火曜日

もうすぐ議会、みとこの夏休みの総括は

ながーいごぶさたでした。いろいろな出来事もありました。
議会は9月13日、あさってから開会です。最終日は28日になります。 私が議員になってからずっと主張し続けてきた決算時期の早期化が実現しました。今回が初めての9月決算議会です。感慨深いものがあります。決算審議が次年度予算に反映できるようにがんばります。
決算審議を前に、夏に学んだこと、そこで考えたことを長さいろいろ、少し意味不明な部分もあるかと思いますがご容赦ください。ご一読頂き、これからまた、どんなことを考えながら進んでいくか少し知って頂ければと思います。


その1 武蔵野女子大学で報告した写真ができました。
以前、日記でも書きましたが、7月には若い未来の候補者と話し合えた貴重な時間を経験しました。さすがに若い女性がたくさんいて、(当たり前ですが)学生に戻ったような気分でした。彼女たちに地域の議員を知っている人はとたずねると当然の結果というのでしょうか。ほとんど知り合いにいない、会ったことも?見たこともない、でした。政治に無関心という以前に、なにが政治と密着した問題なのか自覚するチャンスがないことがまず問題なんだと感じました。問題を投げかけると、真摯な態度で考え方を伝えてくれる力を十分持っている彼らです。もっと政治に関心がもてる様な仕組みづくりを考えたいと実感しました。とかく「今時の若者は」といいますが、講義の時間後にゆっくり話し合う時間も得たのですが「おっとどっこい」です。新鮮な感覚で社会を捉えたまっすぐな目は眩しかった。もっと私たちは多くの世代と語り合える場こそ必要ですね。


その2 市川房枝記念会政治参画セミナー合宿に参加
今年の夏は猛暑でしたが、最も暑い8月1,2日は埼玉県嵐山町での合宿に参加しました。今回のテーマは「民主主義の成熟をめざして」です。基調講演は千葉大教授の大森彌先生による「自治体の行政評価・住民参画」でした。夜の交流会では、無所属議員が各地域で奮闘している事例を多く聞きくことができました。感心したりで、自分もがんばろうという元気をたくさんもらえました。話し合いながら、まず無所属の議員が情報交換できる場やシステムの充実が必要。そして地域課題を解決していくための市民本位の視点に立った政策研究機関の設置も課題だと感じました。一人の力では実現できませんが、セミナーの合宿で仲間と話し合っていると実現できる糸口もこれから見えてくる気がします。またこの日は久しぶりに嵐山町議の渋谷さんに会い、いろいろ話しました。彼女は議会で取り上げた問題から暴漢に襲われるという戦慄するような体験をしています。その体験から被害者支援条例を提案し、今も被害者支援に関する活動を精力的に続けています。勇気のある信念を持った活動を続けている議員です。池田小学校の事件からも、わかるようにまだまだ日本においては被害を受けた人の心の問題、保障の問題について法整備が不十分です。渋谷さんを始め、この問題は日野市議の菅原さんなど知り合いの議員が積極的に取り組んでいます。私が調布でこれから考え、実行すべき問題がまだまだ山積みであることを改めて思い知らされた合宿でした。夏休みの宿題は今回もたくさんあります。ひとつひとつ、自分のまちに置き換えて考え、実行していかなければと思っています。


その3 自治体学会函館大会に参加
8月23.24日に開催された大会に参加しました。台風に追われながらの初めての北海道でした。でも函館の夜景を見ることができ、これは感激しました。ハイカラという言葉を使うとピッタリする、そんなまちでした。掲載した写真は2日目に参加した分科会「自己決定と自己責任の地方財政」での一こまです。コメンテーターに東大の神野直彦先生を迎えて各自治体の職員の方からの問題提起もあり緊張感の中にも考えさせるものがありました。これから、どう地方財政を考え、運営していくかは難しい大きな問題です。それぞれの自治体が苦悩しながら自ら自己改革しながら一歩一歩努力している様子が見えてきました。厳しい指摘もありましたが、印象に残ったのは若い職員が危機感を持って公務員とは何かと真剣に問い掛けている姿勢でした。自分のまちを自分たちで創り上げていこうとする情熱がある自治体にこそ自治が生まれる、私はそんな思いを持ちました。人こそ、何よりの鍵を握っているということではないでしょうか。


その4 国際公会計学会全国大会に参加
9月8.9日の2日間に、都内にある学術総合センターで開催された大会に参加しました。今回は主なテーマは「行政評価と公会計」についてのシンポジュウムに集約されました。また東京都の「機能するバランスシート」、「公会計の新しい視点」などの論題もありました。今や行政評価に対する取り組みはかなりの自治体で実施されています。調布市も事務事業評価を開始しています。今回の9月決算審議では、私自身この事業評価を生かした審議をしたいと考えています。行政評価は英国等で可能な限り民間の経営理念や手法を行政現場に導入し、行政の効率化・活性化を図ってきた手法です。シンポジュウムの中で問題提起されたのは、日本の行政評価で機能しているのは総合計画の進行管理型になっているという点についてです。本来のビジョンや目標が明確でなければ戦略行政のツールにはなりえないという論旨でした。そのためには住民参画・協働を基本にすること。また自治体の基本情報として自らの自治体を知る意味から市民にとって重要な分野のテーマについて変動状況を表す数値の指標を設定すること。この数値を監視続け定期的に住民に報告するというベンチマークの導入も一案という主張がありました。

ベンチマーキングについては現在三鷹市が取り組んでいます。これを行うことで目標管理によって行政を運営できるようになります。一方では改革の時代にあっては企業的なモデルの限界を指摘され新しいガバナンス経営と会計の確立が必要という問題提起された方もありました。これはかなり専門的な提案でしたので、私が解説するには無理がありますが、これからを考えた時、新たな概念が求められていることは朧気ながら理解できました。
他にも行政評価と財政情報は市民の死活問題である。そんな論点から、市民が権力を統制する立場にある。従ってこれらに関する説明責任を執行部に義務付ける基本条例を北海道ニセコ町が制定したという事例も報告されました。ここで指摘されたことは、わが国の公会計制度の決め方に大きな問題があるということです。
それは我が国の地方財政法法には地方財務の記述がなく実際は施行令、政令で会計が行われている現状があるということです。結局、改革も政府にゆだねていることになります。行政評価の成果が予算に反映されていない問題、行政評価が予算書にある款・項・目にリンクしていないこと。節は統制されていない。そうなってくると何のために行政評価を行うのかということになります。そもそも公会計原則についての基準を話し合う専門性と客観性を持った独自性・正当性を持った機関こそ求められる。そんな新たな問題点も提起されました。


このシンポの中で特に注目したのはPFI事業の問題点が提起されたことです。この公的部門をだれも監査していないことの危惧が指摘されました。そのなかでは独立した監査機関が必要という提言がありました。調布市ではPFIで学校を建設するという議案が提案され議決されました。PFIで学校を建設するほうが行政が行うよりも効果があると判断したわけです。
しかし民間と行政を比較する数値を担保する算定根拠があいまいで私はこの議案には賛成しませんでした。発生主義を採用する企業と現金主義を採用する行政の事業効果を数値化し比べることはそもそも無理があります。また厳しい社会状況で金利をどう見るかひとつとってもその客観性をどう担保するのか難しい問題です。それでもPFIを採用するなら十分な説明責任を果たす資料の開示や議員が調査できる機関の保障がなければ市民サイドにたった審議することができません。議会が選任した委員で作る機関が待たれるのか、企業サイドではなく行政サイド、市民サイドに立って立案できるコンサルタントの育成を待つのか。
PFIが公共事業を実施していく際の選択肢として存在する以上今後の大きな課題です。PFIの法律は英国のものと似て非なるものと聴きます。イギリスがPFIに取り組んだ意味と異なる目的を目指しているように思えます。むしろPFI事業は不況下でも政府が公共事業を推進したいとう方針の中で強力に推進されていくのではと私は感じています。慎重にしないと初めにPFIありきで公共事業を手っ取り早く実現できる頭金の要らない便利なツールとしてPFIがモンスターになるのは恐ろしいことです。第三セクターのツケに悩む自治体に新たな財政負担を残す事業になりかねないと危惧しているのは私だけではないと思います。9月決算議会を13日に控え、やはりしっかり学び、考え、この問題を見つめていかないと議員としての責務が果たせないという思いを新たにした会でした。


しかし、自分の住んでいる国を財政という切り口から見ていくとなんと政府にゆだねていることが多いか。国民主権という憲法に沿った政策を実現するための財政を自らがコントロールできないようでは、主権は担保されていないと同じではないかと思うのです。では誰がコントロールしているかというと政令を出す官僚ということになってしまいます。でもそのことから最近のさまざまな問題も実はよく理解できます。日本が官僚国家だという言葉はつぼを得た言葉です。困った、困ったです。私たちが、ここが問題と自覚しないと構造改革なんて難しいことになります。自治というキーワードを私の立場から考えていくと、市民中心の自治を担保するために必要な条例は何か。主権者のための事業を行うにはその内訳を担保するには行政評価や財務諸表も条例で確保する必要があるということになります。まさに問題山積です。やることはたくさん。いつものように宿題の山を抱え込んだ「みとこ」の夏休みでした。